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東京地方裁判所 昭和32年(ワ)4011号 判決

富士銀行本所支店

事実

原告は請求原因として、被告は昭和二十九年二月三日(一通)、三月五日(二通)に株式会社地球屋に宛て金額合計十一万一千三百七十一円、満期はそれぞれ昭和二十九年四月五日、十五日、三十日なる約束手形三通を振出交付し、右手形は地球屋より取立のため富士銀行本所支店に裏書されたところ、右銀行支店が満期の日に支払場所に右手形を呈示して支払を求めたがこれを拒絶されたので、昭和三十年三月十日右各手形をそれぞれ地球屋へ返戻した。ところで原告は、昭和三十年三月十日右各手形を地球屋より裏書譲渡を受けたので、被告に対し右手形金及びこれに対する法定利息の支払を求めると述べた。

被告は抗弁として、被告と地球屋とは十数年にわたる取引関係であつて、被告は衣料品の小売店、地球屋が衣料品の卸店であるが、昭和二十八年初頃から四、五回にわたり地球屋の懇請によつて被告はいわゆる融通手形を振り出していたが、地球屋は何れも約束どおり手形の期日までには手形金額を被告に支払つていた。こうして、昭和二十八年末頃にも被告は地球屋の懇請により金額合計四十六万六千六百円の約束手形を振り出したのであるが、その結果、地球屋は昭和二十九年一月三十日限り金二十二万五千円、同年三月十二日限り金十万七千円、同月十四日限り金十三万四千六百円を被告に支払う義務があつたのである。しかるに地球屋は右義務を全然履行しなかつたので、原告が本件手形の裏書譲渡を受けた昭和三十年三月十日以前に被告の前記融通手形三通の代金四十六万六千六百円と原告訴求の本件手形金合計十一万一千三百七十円は相殺適状にあつたので、被告は本訴において地球屋に対する右四十六万六千六百円の債権をもつて原告訴求の本件手形金合計十一万一千三百七十円と相殺する。

なお地球屋は、被告振出の融通手形の金額を被告に支払う義務があるにも拘らず、右義務を履行しなかつたし、被告にも右融通手形三通合計四十六万六千六百円を支払う資力がなかつたので、被告は右手形を不渡にした結果、銀行との取引を解約するの己むなきに至り、廃業せざるを得ない窮地に追い込まれたのである。将来衣料品店として大をなす希望に燃えていた被告を一朝にして悲運のどん底に陥し入れたことによる精神的損害を金銭的に見積れば、原告請求額十一万一千三百七十円を下廻ることはない。よつて被告は地球屋に対する右損害賠償請求権をもつて本訴において原告請求の本件手形金債権を相殺すると主張した。

理由

被告は地球屋に対する債権をもつて、本訴において原告主張の本件手形債権と相殺すると主張するが、指名債権譲渡のあつた場合譲渡前に譲渡債権の債務者が譲渡人に対し相殺適状にある反対債権を有していたことを理由として相殺を主張するには、単に債権譲受人(受働債権の債権者)に対して相殺の意思表示をなすだけでは足りず、債権譲渡人(相殺の自働債権の債務者)に対しても相殺の意思表示をなすべきものと解するが、かかる意思表示を被告が自働債権の債務者たる地球屋に対してなしたことは被告の主張立証しないところであるから、被告の相殺の抗弁は既にこの点で理由がない。

そればかりでなく、被告本人尋問の結果によれば、被告が地球屋に頼まれ、地球屋に宛て被告主張のような約束手形をいわゆる融通手形として振り出したこと、地球屋は右融通手形の支払期日までに融通手形金に相当する金員を被告に支払うことを約していたが、右約束を履行しなかつたため被告も右融通手形の支払を拒絶したこと、その後被告は右融通手形の支払をしていないことを認めることができる。右認定事実によれば、地球屋は一応被告振出の融通手形の金額相当の金員を右手形の支払期日前に被告に支払う義務があつたことは明らかであるが、右支払は被告に右融通手形を支払う資金を得させるためのものであるから、被告が融通手形の支払を拒絶した後は、被告が融通手形の振出人として右手形を取得した第三者に右手形金の支払をしたなら地球屋も被告の支払つた手形金額を被告に支払う義務のあること勿論であるが、そうでない限り、地球屋は被告に対して右融通手形金相当額の支払義務を有しないと解すべきである。従つて被告が地球屋に対し被告主張のような請求権を有することを前提とする抗弁はこの点でも理由がない。

次に被告は、地球屋が被告に対する金銭支払債務を履行しないことによつて生じた精神的、財産的損害の賠償を求めるというのであるが、金銭債務の債務不履行によつて生じた損害は約定利率のあるときはその額により、約定利率のない限り法定利率によるべきことは民法第四百十九条の定めるところであるから、仮りに地球屋の債務不履行により被告にその主張のような損害が生じたとしても、右損害を地球屋に対して請求することはできないこと明らかであるから、この点についての被告の抗弁は理由がない。

証拠によれば、昭和二十九年一月三十日地球屋は被告に宛て金額二十二万五千円なる約束手形を振り出したこと、被告が右手形を支払期日に支払場所において呈示したが、支払を拒絶されたことを認めることができるが、被告本人尋問の結果によれば、右手形は被告振出の前記融通手形のいわゆる見返り手形として振り出されたものであることが認められるところ、融通手形の見返り手形は融通手形によつて金融を得る者(実質的な主債務者)が融通手形の振出人(実質的には連帯保証人)に対して融通手形の手形金相当額の支払確保のため振り出されるものであるから、融通手形の振出人がその支払を拒絶した場合には以後見返り手形の振出人は融通手形の振出人が融通手形の手形金を支払つた場合の外、融通手形の振出人に対して見返り手形の支払を拒絶できるものと解すべきこと前に述べたとおりであるから、被告が融通手形の支払をしていない本件においては、地球屋は被告に対し右見返り手形の支払義務は存在しないから、前記手形金債権をもつて原告訴求の本件手形金債権と対当額において相殺するとの被告の抗弁は理由がない。

してみると被告は原告に対し本件手形金十一万一千三百七十一円及びこれに対する遅延損害金を支払う義務があり、右義務の履行を求める原告の請求は全部正当であるとしてこれを認容した。

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